茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

『源氏物語』にも登場する平安時代の「果物」とは

「果物(くだもの)」と聞くと、現代の我々はフルーツのことだと思いますよね。

しかし、平安時代の人々はフルーツ以外の菓子もまとめて「果物」と呼んでいました。平安時代の「果物」とは、今でいう「お菓子」の意味だったのです。

奈良時代までは、お菓子と言えば柿や桃、クルミなどの果実や木の実のことを指していました。平安時代に入ると、人々はお米を使ったお菓子を自分たちで加工して作るようになります。その過渡期において、「果物」という言葉に「お菓子」の意味が生じたのです。

現代でも米粉から作られるお菓子は一般的に食べられていますが、平安時代にはまだ臼などの粉に挽くための器具が一般的に利用されていなかったため、現代で使われているのと同じ形の米粉を作るのは難しいことでした。代わりに平安時代の人々は、米を水に浸して木槌でついて一旦泥状にしてから布を使って絞り、それを乾燥させることで「米粉」を作っていました。作るためには時間も手間もかかる食材だったことが想像できます。

そんな米粉を用いて作られた「果物」、もといお菓子は、『源氏物語』の中にも登場します。

『源氏物語』では「椿餅(つばいもちひ)」、「粉熟(ふずく)」という二種類のお菓子について書かれている場面があります。

「椿餅」は、米粉から作った餅に甘葛(あまづら)という樹液から作った甘味料をかけ、椿の葉2枚で挟んだもの。現代の我々から想像しても美味しそうな一品ですね。時を経て作り方や材料は変わっていきながらも、現在も「椿餅(つばきもち)」という和菓子はお店に並んでいます。

一方、「粉熟」は米やゴマ、豆類の粉に甘葛を加えて餅状に茹で、細い竹筒の中に押し入れて固めたお菓子です。今ではあまり見かけなくなってしまったものですが、気になる方は材料をそろえれば現代のご家庭で再現することも可能です。

このようなお菓子は、上流階級の女性が間食として食したり、茶会の席で食べられたりしていました。

『源氏物語』の中では、お菓子の作り方についても細かく書かれています。気になる方はぜひ『源氏物語』を参考に、平安時代の「果物」の味をご自身で体験してみてください。