茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

平安時代の「かな文字」を知る

平安時代の人々は、さまざまな物語や多くの和歌など、多くの文学作品を後世に残しています。それが可能になった理由の一つとして、それまで文化の中心にいた男性のみならず女性にも自己表現の方法をもたらしてくれた、「かな文字」の存在が重要な役割を持っていました。

「かな文字」とは、中国から伝わってきた漢字をもとに、日本語の音を表現するために作られた文字のことです。

現代日本では文章書く際、漢字・ひらがな・カタカナの三種類が使用されていますが、その内のひらがなのもとになったのがこのかな文字です。

ひらがなもかな文字もどちらも漢字をもとに派生したものですが、ひらがなが一つの発音に対して一つの表記しかないのに対し、かな文字の表記はたくさんありました。

例えば、現代で使われている「あ」というひらがなの文字は、「安」という漢字がもとになっています。しかし、平安時代にはその他にも「阿」や「愛」という漢字から生まれた「あ」という発音の文字が存在しました。

また、今では目にする機会が減った「ゐ」や「ゑ」という文字もかな文字の一種です。平安時代は「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」の発音が区別されていたため、それぞれの音にあてたかな文字が作られましたが、時を経て江戸時代の終わり頃になると区別されなくなっていき、それぞれ「い」と「え」に置き換えられて現代に至ります。

つまり、今でこそひらがなというと五十音、つまり約50文字ですが、当時はもっと膨大な文字の種類があったのです。その数は数百にものぼるとされており、平安時代の人々は、それだけの数のかな文字を使いこなしていました。

そんなかな文字が使用され始めたのは平安時代初期。漢字よりも簡易的な発音文字として作られました。

かな文字が発展し広く使われるようになったことで、男女問わずだれもが感覚的な表現や情景を自由に伝えることができるようになりました。『源氏物語』や『枕草子』など、女流作家による作品を含め、歴史に残る作品が平安時代に多数生まれたのはかな文字の普及があってこそのことでした。

そして時を経て、かな文字は我々に馴染みのある五十音のひらがなに変化し、現代に残っています。

ひらがながなければ日本語は成立しません。平安時代の人々がかな文字を生み出してくれたことによって、今の「日本語」があるのですね。