茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

平安時代の占いと陰陽師

平安時代の貴族たちは、その日何をするかという予定を全て――本当に「全て」、占いによって決めていました。

占いによってその日の行動を全て決めてしまうなど現代の感覚では考えられないことですが、平安時代の人々はいたって真面目にそうしていたのです。

当時の占いに使ったのは、陰陽道において生まれ年によって決まる7種類の「星」、「屬星(ぞくしょう)」です。自分に属する星に従って、毎朝その日の運勢を占いました。占いの結果が悪ければ、悪霊にとり憑かれてしまうことを恐れて自室から一歩も外出せず仕事もしない、ということもあったそうです。

特に入浴する日は重要で、厳密に占いに従いました。運勢が悪い日に入浴すると、洗った部位から悪霊や邪気が入り込んでしまうと思われていたからです。それを避けるため、貴族たちは必ず吉日に入浴をしました。平安貴族の入浴頻度は週に一度程度が普通でしたが、悪い運勢が続くと一ヶ月以上髪も体も洗えない、なんてこともあったようです。

平安貴族たちは、毎朝の運勢は自分たちで占っていましたが、宮中には占い師の役割を持つ「陰陽師」という職業も存在していました。

陰陽師は貴族の特に重要な日の運勢を占うだけでなく、天皇の病気の原因を解明する医師としての役割や、宮中で起きた事件の原因究明のような警察、あるいは探偵のような役割もこなしました。「占い」に求められるものはそれだけ多種多様だったのです。そのため、陰陽師になるためには、呪術についての知識だけではなく、学問の知識や豊富な教養も必要とされました。

ちなみに、上で述べた入浴する日は、多くの場合自分の占いではなく陰陽師に占ってもらって決めていたようです。それだけ入浴という行為と運勢の関係が密接であったことが分かります。

このように、平安貴族にとって陰陽師による占いは生活する上で欠かせない存在だったのです。

ちなみに、現在は創作作品などに登場する存在と言う認識の方も多いであろう陰陽師という職業ですが、実は現代にも数十名存在していると言われています。もはやそこまで占いに生活を左右されることない現代に、どんなお仕事をされているのか気になりますね。