茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

平安時代の食事

現代において、日本は食事が美味しいと世界でも評判ですが、果たして平安時代の食事はどのようなものだったのでしょうか。

平安時代における食事の様子は、庶民と貴族とでその中身が大きく異なりました。

まず、庶民の食事についてです。庶民の食事内容は、もっぱら粟やキビといった雑穀がメインでした。雑穀の腹持ちを良くさせるための工夫として、お湯で湯がいてお粥のようにして食べていたとされています。基本的に食卓にはこの雑穀しか並ばず、魚や野菜といった副菜がつくことは稀でした。そのため、栄養素も食事量も決して十分ではなかったことが容易に想像できます。また、食事の回数はほとんどの場合一日二食で、一食目は10時頃、二食目は16時頃という習慣で生活していた人々が多かったようです。

一方で、貴族たちの食事はこのような庶民のものとずいぶんと違っていました。主食には当時はまだ貴重だった米を食べ、加えて色とりどりの野菜や魚、木の実など、お膳がいっぱいに埋まるほど小皿が副菜として毎食並べられました。さらにお酒や果物なども用意され、このような食事を一日三食とることを基本としていました。

しかし、いくら貴族の食事であっても、見た目は豪華でしたが味つけのほうは簡素なものであったとされています。

平安時代の料理が現代の料理と最も大きく違う点は、完成した料理にあまり味つけがされていなかったというところです。そのため、食事の際にはお膳と一緒に必ず酒・酢・塩・醤油の四つの調味料が並べられ、自分で好みの味に調節しながら食べていました。さらに、魚などは現代と違って生のままで鮮度が保って保存しておく手段がなかったため、一度干物や塩漬けなど長期間保存できる形に加工したものが少しずつ食卓にのぼりました。

平安時代の人々の食事は、たとえ貴族のものであっても、現代の私たちが想像する「和食」よりはずっと味気ないものでした。それでも、工夫をこらして庶民より豪華な食事をとっていた平安貴族たちによる「立派な食事をしたい」「周りと違うものを美味しく食べたい」といった気持ちが食を進化させていったことも想像に難くありませんね。