茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

平安貴族の遊び「貝合わせ」

現代のような娯楽機器が存在しない平安時代において、人々は日々思考を凝らして遊びというものを考えていました。今回はその中の一つ、「貝合わせ」について紹介します。

現代において「貝合わせ」と呼ばれる遊びは、二種類あります。

一つは、平安時代に行われていた「物合わせ」と呼ばれる遊びの一種です。左右に分かれ、持ち寄った貝の形や色合い、大きさや種類の豊富さ、はたまたその貝殻を題材にした歌を詠むことで優劣を競いました。

もう一つは、平安時代末期から行われていた、対になる貝殻を見つけて合わせ、その数を競う神経衰弱のような遊びです。

後者は元来「貝覆い」と呼ばれていましたが、時代を経るにつれ、殻を合わせる所作からこの遊びもまた貝合わせと呼ばれるようになりました。今回は後者の「貝合わせ」についてお話ししていきます。

貝合わせには、女性が手のひらに握りこめる程度の大きさのハマグリを用いました。そのハマグリの殻を2枚に切り分け、一方の貝殻を「地貝(じがい)」、もう一方を「出貝(だしがい)」と呼び、並べられた地貝を複数人が囲み、出された1枚の出貝と対になるものを探していち早く取った人がその貝殻を獲得します。獲得した地貝と出貝は手の中で重ね合い、割れ目がピッタリとあうと膝の前に並べ、最終的にその数が多かった者が勝者となります。

貝合わせに使用する貝殻を「合わせ貝」と言い、合わせ貝は全部で180個、つまり360枚もの貝殻を1セットとして遊ばれていました。地貝の数が減るまではかなり大変で難しいことが想像できますね。模様や大きさ、形などを目印にして探していたそうです。

貝合わせは定番の遊びとして長い間愛され続け、江戸時代になると貝殻の内側を蒔絵や金箔で美しく装飾するようになりました。この装飾が凝っていくにつれて、有名な和歌の上の句と下の句をそれぞれ地貝と出貝に書き分けて貝合わせを行う「歌貝」に発展します。この歌貝は近世になると貝の代わりに紙の札を使って遊ばれるようになり、やがて今でも親しまれている遊び、「百人一首」として定着しました。

また、対になる貝は決してお互いを違えないということから、夫婦和合の象徴ともされました。貝合わせの貝を入れるための貝桶は嫁入り道具にもなっており、現代でも人前式の結婚式において「貝合わせの儀」は残っています。

このように、平安時代の人々が編み出した遊びは、少しずつ変化をしながらも現在にも引き継がれているのです。