茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

平安貴族たちが暮らした「寝殿造」

平安時代、貴族階級の人々が暮らしていた邸宅。それは平安貴族の優雅な暮らしがひと目でわかる、現代から見ても美しいつくりをしていました。

平安時代に建てられた邸宅は、後に「寝殿造(しんでんづくり)」と名付けられる独特な建築様式をしていました。寝殿造の邸宅は、大きな敷地内の中央に、主人夫妻の住む「寝殿」を置き、その子供などの家族が住む「対の屋(たいのや)」を東西北の三方に配置し、その間を渡り廊下で結んだ形式が一般的です。部屋は基本的に板敷きで、畳は部分的に敷かれていました。内部は柱だけで壁はほとんどなく、部屋と廊下の間は御簾や障子を使って簡易的に仕切られていました。外側も扉などの解放可能な建具が使用されており、夜は閉じていましたが、昼間は解放されていました。

ずいぶん開放的な生活を送っていたように思えますが、広大な敷地の外周はしっかりと土塀で囲われており、住人のプライバシーはきちんと守られていました。家全体が一つの広い部屋のようなつくりだったと思うと、素敵ですね。

そして、この寝殿造の一番の特徴は、寝殿の南側に位置する美しい庭園でした。

平安貴族にとって、庭園を整備することは大きな娯楽の一つでした。そのため、必ず立派で整備された庭園が造られ、美しい景観を楽しめるようになっていました。池も作られることが多く、中には人工的な滝を作った貴族もいたそうです。釣殿と呼ばれる渡り廊下をそのまま池に届くまで伸ばした建設もされ、貴族は釣殿で釣りや花見などを楽しみました。

さらに、庭園は景観を楽しむためだけでなく、季節の催しや宴、儀式を執り行うための場所でもありました。

寝殿造の様式は10世紀半ばから11世紀ごろに成立したとされていますが、技術の進歩や生活様式の変化の影響を受けて変化し続けたものであり、やがて室町時代末から桃山時代に見られる「書院造」となり、現在の和風住宅の源流にもなっています。

そのため実は、『源氏物語』の舞台である時代の正確な建築構造に関する資料はあまり残されていません。今回お話しした寝殿造の説明は、12世紀以降の建築に関する資料から語られているものです。今後の研究によっては、『源氏物語』の中で光源氏が過ごしていた邸宅はもっと違う形だったことが判明するかもしれませんが、美しいことにはきっと変わりないでしょう。