淹茶道とは?

淹茶道とは?

淹茶道とは茶道の流派の一つです。
淹茶道は平安時代の茶道で、雅楽奏者・研究者として著名な長谷川景光が中心になって、創立した茶道の流派です。現在は私、中西景皇が2代目家元を襲名し、東京から熱海に教場を移し、山と海の風を感じられる場所で淹茶道の茶道・香道体験を提供しております。

淹茶道は「嵯峨天皇」、「空海」、「最澄」の三偉人を流祖とし、平安の御代に想いを馳せ、いかなる時も五行に基づき茶を淹れ、五律に限り作法とし、五感を使ってお茶を楽しんでいただけるよう勉めております。

この「淹茶道」の魅力は、利休以降の侘び寂の抹茶道とは趣が異なる、宮中で嗜まれた雅なお茶の文化にあると思います。最澄が日本に初めてお茶を持ち込んだ当時の作法を再現すべく、平安時代の装束、道具、設えを『茶経』から遡り『類聚雑要抄』などの文献を紐解いて実践することで、淹茶道の作法を体系化して参りました。
淹茶道はまだ明らかにされていない部分が多く、研究を続けなければ、道は途絶えてしまいます。この役目を担いながら、この文化を多くの方に知っていただき、後世に残すために尽力したいと考えております。

ところで何故、熱海の地に平安茶道を伝える教場を移したのかとよく聞かれます。
現在の熱海は海を臨む温泉地としてのイメージが大きいので、意外に思われる方も多いのかもしれません。
奈良時代から平安時代にかけて熱海は「直見」「阿多美」とも呼ばれ、その歴史は古く箱根神社、伊豆山神社との信仰と結びついておりました。そう、関東と関西をつなぐ箱根路(現在の平安・鎌倉古道)が開かれた時代こそ、まさに平安時代なのです。
やがて両社が関東総鎮守・関八州総鎮護とされたことからも、この一帯が関東から京を臨む要衝であったことがうかがえます。

さらに、ここ伊豆半島北部は、相模の小京都 湯河原や、伊豆の小京都 修善寺などが点在する等、歴史文化が強く残リ続けている土地でもあり、熱海は平安文化を関東へと広めてきた歴史的そのものとも言える土地なのです。

なにより、当地の伊豆山神社には淹茶道が三偉人と仰ぐ弘法大師 空海が修行したとの伝承が残り、また、同じく三偉人の一人である嵯峨天皇の命により「平安京の守護神」と称えられた武将 坂上田村麻呂も、当地の來宮神社に祈願したと伝わります。