茶道・薫物(香道)の
歴史を探究する

平安時代の筆記具

かな文字が誕生し詩を詠んだり手紙を書いたりといった文化が発展して、「文字を書く」という行為がより人々の生活に身近なものになった平安時代。そんな時代背景に合わせて、平安時代には筆記具の需要が飛躍的に高まりました。

当時主に使われていた筆記具としては、「紙」、「墨」、「筆」、「硯(すずり)」がありました。その他にも紙を押さえるための「文鎮」や硯に水を差すための「水滴」など、一式揃えるとなるとたくさんの小物が必要になります。現代でも毛筆を使った書道や水墨画などの際に同じものを使いますね。素材は変われども、役割としてはみな今と変わらないだと思ってよいでしょう。

筆記具の需要が高まると墨も大量に必要になり、中国から輸入されたものだけでなく国内でも墨の生産をするようになりました。この頃は、「松煙墨(しょうえんぼく)」という松ヤニから作る手法が主だったそうです。

筆も墨と同様に一気に生産量が増え、合わせてその質も向上していきました。書の名人である空海は、自ら中国から最新の技術を持ち帰り最高級の筆を職人に作らせたと言います。筆職人たちのほうでも、どれだけ質の良い筆を作ることが出来るか自分たちの作品を比べて競い合っていました。

また、紙は、今でも趣ある品として人気のある和紙の他にも、木簡(もっかん)という木を薄くスライスして紙のようにしたものが使われていました。しかし、木簡に書かれた書物は簡単に偽造ができてしまうため、公的な文書などの重要な書類には必ず和紙が使用されていました。

現代でも書道という形で親しまれている毛筆による筆記ですが、日常的に使用するには大きなデメリットがありました。それは、筆記具が持ち運びに不向きであるであることです。

そんなデメリットを解消すべく、当時は筆記具一式を手軽に持ち運べるようにした道具も開発されました。小さな壺と筒が合体した構造で、綿などに墨を染み込ませた物を壺に入れ、筆を筒に収納します。現代の朱肉付き印鑑ケースの構造に似ていますね。

明治時代の終わりから大正時代になると、万年筆や鉛筆が実用化され、文房具のあり方は現代に近い形にがらっと変化します。しかしそれまでは1000年以上筆が主流の時代が続いていました。実は日本では、まだまだペンを使用している時代よりも筆を使っていた時代のほうが長いのです。