平安貴族の女性というと、白い肌に高い位置の眉、小さく覗く黒く塗られた歯、といった顔が思い浮かぶのではないでしょうか。実際、貴族の女性たちがそのような化粧を好んで行っていたのは確かです。
現代の感覚だとずいぶん印象的なスタイルですが、当時の貴族女性たちはなぜ、そしてどんなものを使ってそのような化粧をしていたのか、紐解いて見ていきましょう。
平安時代の人々が顔を白く塗っていたのには少し意外な理由があります。それは、暗い室内でも少しでも顔を明るく見せるためです。現代では必要のない、平安時代だからこその工夫が感じられますね。同時に、当時貴族の間で教養として共有されていた漢詩の中には、肌の白い女性は美の象徴であることを示す描写があります。そのため、女性たちは美人の条件としても顔を白く塗ることが求められていました。
ちなみに、当時使用されていた白粉は鉛を原料とする「鉛白」や水銀を原料とする「軽粉」が主でした。化粧品の原料が金属、しかも水銀という今では有毒性が確認されている物質だったというのは、現代から見るとかなり衝撃的です。
また、白粉は生えている眉毛の上にも塗っており、実際に生えている眉毛を隠す役割も果たしていました。そして本来の眉毛よりも高い位置に小さく眉を描きました。そのようにしていた理由としては、実際の眉周辺の筋肉の動きを分かりづらくし、額に動かない眉を描くことで常に穏やかな表情に見せるため、という説が有力です。
白粉と同じくらい印象的なのは、やはり「お歯黒」でしょう。顔に粉をはたいて顔色をよく見せたり、本物の眉毛を消して理想の形の眉を描いたりすることは現代の化粧の一環としても残っていますが、お歯黒となると現代においては存在しない文化となっていますよね。
そもそもお歯黒とは成人の証であり、10歳を過ぎると日常的に塗ることが求められるようになりました。このお歯黒も、歯を目立たなくすることで眉と同じように表情を穏やかに見せる役割があったと言われています。
また現代の研究では、お歯黒は虫歯予防の効果があったことも発見されました。塚や墓から掘り起こされたお歯黒が捕捉されたご遺体にはほとんど虫歯がなく、また虫歯が発生していた場合もお歯黒をつけた段階で進行が止まっていたそうです。無意識のうちに健康にも一役買っていた文化だったのですね。
日本で初めて化粧をするという習慣が生まれたのは、平安貴族の女性たちの間のことであるとされています。これらの白粉やお歯黒といった化粧の文化は、当時の女性たちが実用性と美意識を兼ね備えるべくゼロから生み出した技術の結晶なのです。