茶道を語る上では欠かせない、茶器を含めた食器たち。実は平安時代初期までは、縄文時代から続く形で粘土を成形して窯で焼いただけの土器が主な食器として使用されていました。土器は耐熱性こそ優れていましたが、やや柔らかく耐水性が劣っているという難点もありました。
縄文時代と同じ土器とは言っても、時を経ていく内に、窯の中で自然発生する自然釉と呼ばれる釉薬が見つかり利用されるようになるなど、より強度の高いガラス質のものに進化してはいました。それでも見た目は変わらずほとんど灰色一色で、味気ないものでした。
そんな中、奈良時代の後半になると、中国から三彩陶という色のついた「陶器」が伝わります。その影響を受けて日本でも焼き物に色をつけるという文化が生まれ、さらに平安時代に入ると陶器の焼き方が中国や朝鮮から伝わり、その結果日本の焼き物は劇的に変化しました。
陶器は、それまで使われてきた土器と同じく粘土を成形して焼いたものでこそありましたが、その焼き方が大きく異なりました。一度素焼きした器に、人の手で釉薬を塗ってからさらに高温で本焼きを行うという二段構えの工程は、当時の人々にとっては全く新しい技術だったのです。この焼き方は、現代でも行われている手法です。
とはいえ、釉薬を使用して作る陶器は平安時代当時にはまだ貴重だったことから、民間において日常的な食器としては土器が使用されることのほうが多かったようです。陶器は高級品として扱われ、主に宮廷で使用されていました。
宮中では陶器の文化がさらに発展していき、やがて技術力の向上と共に独自の作品が作られるようになっていきます。着色ができるだけでなく耐水性に優れている点や、簡単なお椀型に限らず複雑な形のものも作られるようになったことから、茶器として使用されるようにもなっていきました。それはやがて、宮廷における「茶道」の誕生につながります。
このように、平安時代において現在にもつながる形の茶器が生まれたことによって、茶道の文化も生まれ発展していったのです。