平安時代、顔を露わにすることをタブーとされていた貴族の女性が、唯一男性に愛を伝えられる手段。それが「手紙」でした。
手紙を書くという文化は、古くは飛鳥時代に誕生したという記録が残っていますが、平安時代になると平安貴族の間で大変なブームが起こります。平安時代にはかな文字も誕生し、女性も日常的に文字の読み書きをするようになったことがきっかけだと考えられています。
一口に「手紙」も言ってもその内容はさまざまなものが想像できますが、平安時代において女性が書いたものは少し違います。『源氏物語』に女性が和歌を手紙に綴りやりとりする数々の場面を紐解くと、ほとんどが恋文、つまりラブレターだったのです。
平安時代において、高貴な女性は他人に顔を見せないことがマナーとされていました。部屋では几帳や屏風で訪問客と自分とを遮り、その奥でさらに扇を使って顔を隠すほどに徹底されていたと言います。ですから当然、気になる男性に直接会って顔を見ながら話をすることなどできません。そのため、代わりに手の込んだ手紙で想いを伝えていたのです。当時は郵便制度などがないため、宮廷の使用人が手ずから手紙を届けました。そして返事が書かれるのを待ち、それを受け取って帰り女性に渡すという流れが一般的でした。
女性たちは手紙に和歌を綴ることで自分の想いを表現していましたが、受け取る男性はその和歌のセンスや綴られた文字の美しさでその女性の魅力を測っていました。すなわち、平安貴族の女性たちには何よりも教養が重要視されていたということです。
センスのある和歌を詠むことはもちろん、女性たちはありとあらゆる試行錯誤をして意中の相手に個性のアピールもしていました。例えば、どんな種類の和紙を使うのか、その手紙をどのように結ぶのか、などです。極めつけには、自分で調合して作った練香の香りを手紙に薫きつけました。毎回必ず同じ香りを薫きつけることで、顔を露わにできない自分自身のイメージを香りとして相手に伝えていました。
しかし、手紙のやりとりをしていくうちにどれだけお互いが惹かれ合っていこうとも、女性が他人に顔を晒せないことに変わりはありません。平安貴族の恋人たちは多くの場合、言葉のやりとりだけで一生顔を合わせることがないというなんとも切ない恋をしていたのでした。