平安時代に貴族の間に産まれる、乳児は男女問わず宝として待ち望まれていました。
しかし、現代でも出産は命がけの行為ですが、平安時代は医療設備や知識も少ないことからさらにリスクが高く、残念なことに母子ともに死亡率がかなり高かったといいます。また、医療設備だけの問題でなく、当時は成人とされる年齢も低くかったため、それに伴い十代での出産も珍しくありませんでした。そのために体力不足で亡くなってしまう女性もいました。
そんな中で、平安時代の貴族たちは安産を願うために妊娠した女性に対して様々な儀式を執り行いました。
妊娠して五ヶ月頃になると、解任を祝って「着帯の儀」というものが行われます。この儀式では名前の通り、「標(しるし)の帯」という妊婦の腹に巻く帯が贈られました。邪気を祓った帯を腹部に巻くことで、お腹の中の胎児が守られ安全に成長できると考えられていたのです。
当時は悪霊や邪気は健康を害するものとして大変恐れられており、当然妊娠・出産にも影響があるとされていました。そのことから出産の時期が近づくと陰陽師や祈祷師を呼び、安産祈願を行いました。『源氏物語』の中では、葵上の出産のために比叡山延暦寺の天台座主(延暦寺の住職・天台宗の信仰の象徴的存在)を招いたという描写もあります。
また、重要な事柄は必ず陰陽師らによって行われる占いで決めていた平安貴族ですから、出産する場所も占いで決めていました。出産は「産屋」とよばれる部屋で行われましたが、どこにある産屋で出産すれば安全かということを陰陽師が占いました。
そしていざ出産当日となると、複数人の侍女が妊婦のそばについて出産のサポートを行いました。祈祷は出産中も常に続けられ、破魔の弓の弦を鳴らして邪気を祓い続けていたそうです。そのため、産屋はかなり騒がしい環境で、さまざまな音や声が響く中で出産に臨んでいたことが想像できます。
現代以上に危険で命がけの行為である出産に対し、貴族たちはたくさんの儀式や祈祷を行い、母子共に健康に乗り越えられることを心から願っていたのです。